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金閣寺放火事件
k-kosaka
2011年07月02日 07:30
1950年7月2日、寺子弟の見習い僧侶であり
大学生による放火で国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼。
事件の5年後の1955年に再建されました。
この放火した大学生、裏山で切腹して
うずくまっていたそうですが
一命を取り留めたそうです。
三島由紀夫は「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して
金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」と分析し、
水上勉は「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により
美の象徴である金閣を放火した」と分析したそうです。
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