2013年09月25日

大牟田爆発赤痢事件

大牟田爆発赤痢事件


1937年(昭和12年)9月25日に おとなりの大牟田市内で発生した集団赤痢感染事件。
9月25日の夕方頃から大牟田市内において、多数の人々が高熱や嘔吐、けいれんを起こして次々に倒れました。
当時の大牟田市の人口が11万人に対し、10月までの患者数は12332人、死者は712人と、市民の1割以上の人が罹患する大惨事でした。
原因が何と上水道の貯水井戸・第三源井を管理していた番人一家の幼児(赤痢菌の保菌者)のおむつを洗濯した汚水が井戸の破損箇所から浸入したことだったそうです。



Posted by k-kosaka at 09:42│Comments(1)
この記事へのコメント
大牟田爆発赤痢の迷宮へようこそ。
爆発赤痢の公式見解としては、昭和49年6月4日、参議院議員内田善利氏からの質問書への答弁として、(内閣参質72第16号)
参院議長 河野謙三    内閣総理大臣  田中角栄
第72回国会(通常)
汚染源は水道水源井と決定付けるものではない、と言う見解があっています。
何が原因か、を調べれば調べるほどに迷路に入り込みます
時の流れは決して解決はしません、時と言う墓穴には土がかぶされ続けていくだけです。
視点を変えて「誰が、何のために」「取り巻く日本の、世界の情勢は」を調べれば、ここからはオドロオドロした謀略の一端が覗けるはずです、ただし、これが全てではない、複合です。
2つのヒントをおあげします。
今は何ていうんだろう、昔は「シーキューブ ド アイ」
今ひとつは、昭和47年の出来事。
Posted by  エム エム at 2016年03月14日 14:14
 
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